瞑想を習う 第四歩

バクティ・ヨーガ

   一般的に言って、瞑想には、様々な信仰や精神哲学を反映する多様な形や方法があります。こういった様々な方法は山を登る道のようなもので、問題はどの道が他の道よりすぐれているかではなく、どの道があなたに一番合っているかということです。あなたの道は修行をすることによって姿を現しますから探す必要はありません。私たちにとって何が一番いいか、どう先に進んだらいいかを悟らせてくれるのは瞑想の実践そのものなのです。

   この瞑想の案内は初歩的で様々なアプローチの概観を提供するために様々な方法とテクニックを扱っています。その内容はそれぞれ違うかもしれませんが、終点の辺りではそれぞれが近づいてきて、同じゴールに到達します。道は全て一つの山頂に通ずるのです。

世界は一つの家族

   また、全ての伝統に共通しているのは、人間の無限の潜在力への信頼、人生の核心に精神的な求めがあるという信念、世界平和と人類の一体感に対する関心、物欲と野心だけでは満足できず永遠に幸福になることができないという考えです。

   世界の宗教や精神的な道の多様性は数多くの瞑想法を生み出しました。それは健全な現象で、私たちが探検できる幅広い可能性を提供しています。道の数は人の数に相等するのです!シュリ・チンモイに言わせれば:「精神性はただの寛容ではありません。容認でもありません。普遍的な一体感なのです。...精神性は他人の神への信仰を厚遇することではありません。他人の神への信仰を自分自身のものとして完全に認めるということです。真の宗教は普遍的な性質を備えています。他の宗教の欠点を探したりなどしません。許す心、同情、寛容、兄弟のような愛情と一体感が真の宗教の印です。」

   自分に合った道を見つけたとき、他にある道の多様性が気にならなくてもいいのです。全ての道を自分の道と同様に尊敬しながら、周りにある道に振り回されることなく、選んだ道の道のりを追って下さい。

瞑想の道を二つのグループに大きく分類することができます。一つはキリスト教、イスラム教、ヒンドゥー教のような創造主(神、アラー、ブラフマンなど)を信じるグループで、もう一つはそういった概念を持たないグループです。二つ目のグループには仏教、ジャイナ教の他、神の実現ではなく、開放、悟りや個人の幸福に集中する非宗教的な瞑想法が入ります。

回る星空

   しかし、瞑想を始めるときは、哲学を気にかけたり、どのグループに属しているか悩んだりする必要はありません。前にも言及したように、このことは瞑想を深める練習によってのみ分かってきます。幸いなことに、私たちは不動の化石ではなく、常に進化し、変化し、開花していきますから、明日の新しい洞察、理解が今日まで信じてきたことに取って代わる可能性があります。外面の世界はとても広大です(夜空の際限のない美しさを眺めれば感じられます)が、内面の世界はより一層広大で不思議なものであり、たくさんの新しい発見が私たちを待ち構えているのです。

   瞑想はより広い世界への扉を押し開けてくれるのです。今日の理解の地平線のすぐ向こうにたくさんの真実と現実が横たわっており、明日にはそれらがじかに発見されていくのです。瞑想が必要とするのは開いたマインドと開いた心だけです。自分自身の体験と個人的な発見を通して人生の真実を明らかにしましょう!

ヨーガの種類

ろうそくのタペストリー

   ヨーガとは、合体、神との合体、気高い自己との合体、真実との合体、という意味です。この言葉は普通ハタ・ヨーガのことを指しています。ハタ・ヨーガは体の姿勢(アーサナ)を集めたもので、身体を完全にし、より高い意識に入るのを助けてくれます。この種のヨーガにはマインドと身体を指揮し、浄化するプラナーヤーマ呼吸法も属しています。 しかし、それ以外に三つの基本的なヨーガの種類があります。

   カルマ・ヨーガは自分の利益のためではなく、人類の中の神に奉仕するために行われる欲望のない活動です。インドの貧乏な人々にたゆみなく奉仕していたマザー・テレサはその理想を例証するでしょう。彼女は苦しんでいる人々の中におられる神様とキリストに奉仕していたのです。カルマ・ヨーガ行者は勝敗にこだわりません。欲望を知らない超然とした態度を洗練し、利益や評価を期待せずに奉仕しています。

   ジニャーナ・ヨーガは知識・知恵の道で、人生の真実をマインドの理解を通して捜し求めていきます。ジニャーナ・ヨーガ行者は五感の世界を超えた気高い真実の世界が存在することを知っており、理性的な解釈によってその世界を求めています。移り変わる形と外見を越えた人生の永遠の最高の真実を理解しようと、「ネティ、ネティ」(これは違う、これも違う)と言明し、虚偽と錯覚を拒絶します。

   四番目の基本的なヨーガの種類であるバクティ・ヨーガの信奉者は推論するマインドには注目しません。バクティは神への愛と献身の道、ハートの道、感じる道です。

   神、またはある種の至高の現実か神聖な理性の存在を信じている人なら、バクティ・ヨーガが最も速く前進できる道になります。

Susebika

   ここでは、自分だけの努力や技能の精通が、神に対する個人的な気持ちや考えへのより強い信頼に転換します。子供が全てのことで両親に依存しているのと同じように、バクティ・ヨーガの瞑想行者はその精神的な道の全ての段階で神に依存し、神に呼びかけ、神を信頼します。「神」という言葉は宗教的な教理や信条を採用する必要性を意味するものではなく、むしろ効果があるように、私たちの神の観念は個人的なもの、気高く愛に満ちた存在への気持ち、イメージや直感でなければなりません。

   私たちの天性の非常に強力な要素の一つは愛の力です。人間の愛は日常生活において身近で親しい人に限られていますが、この愛は進化し、大いに伸長できます。性欲や魅力、孤独感の緩和、親しい仲間や親密な交際の必要性などは、自己中心の目的を持つ人間の愛ですが、精神的に前進することによって無限の愛にまで発展し、瞑想での強力な手段になることができます。バクティ・ヨーガでは、人間の心の中に潜んでいる愛の力が神に向けられ、自分の世話、前進するための後押し、この先に続く道案内をしてくださるように愛に満ちた存在(神)の指導や恩寵を求めて祈願します。

   また、バクティ・ヨーガで気高い存在との内なるつながりの感覚を深めるにつれて、周りの全てのものごとの中に神性さを見い出すようになります。創造主は創造物の全ての中におられます。限られた人間の愛は自我の欲望のない、無限の精神的な愛へと発展し、全ての生命に行き渡っていきます。

マントラの練習: スープリーム

シュリ・チンモイが瞑想する

   この練習はシュリ・チンモイが大切に心に抱いている「スープリーム」(Supreme、英語で「至高の(存在)」の意味)というマントラを使用します。このマントラは自分の内に至高の自己、つまり人間の魂があるということに気づかせ、さらに重要なことには、慈悲と指導を求めて、神に呼びかけるマントラであるのです。スープリームのマントラは愛に満ちた存在の親密な呼び名で、私たちはこの至高の存在との関係の感覚を自分にとって心地よい方法で築けばいいのです。この瞑想法では子供のような感覚でいればよく、テクニックなどはあまり心配しない方がいいと思います。この練習にパワーを与えるのは私たちの持つ誠実さ、奥深さ、愛情なのです。

   自分の祭壇で座り、息の静かな干満に数分間マインドの意識を集中させることから瞑想を始めて下さい。自分は子供だ、6・7歳の子供だというふうに思い、心の中に誠実さという性質を感じてみて下さい。誠実さは磁石のように瞑想の仕方について知る必要があることを全て引き寄せてくれます。数分の間、身体、マインドと呼吸を静かなままに保ち、息を吸うたびに、自分の核心にある精神の平和なオアシス、つまりハートへより深く入っていくのを感じてください。息を吸うたびに静寂が深まります。どれほど静かになれるかという好奇心・向上心を育成してみて下さい。

   内的な静寂に入りながら、「スープリーム」というマントラが自分の内で鳴り響いているのを感じてみて下さい。魂は、子供が愛する親に呼びかけるのと同じように、あなたの先の道を案内してくださるように神に呼びかけています。 マインドがまださまよい続けるようでしたら、「スープリーム」を速く唱えるのもよいです。そうすると、マントラ以外の全てがマインドから排除されます。魂の鳥静かになったら、マントラをもう少しゆっくり唱えるようにします。最初のスーの音節を息を吸うと同時に唱え、後のプリームの音節を息を吐くときに唱えてみるのもいいです。声を出して唱える場合にはもちろんマントラは全部息を吐くときに唱えます。

   練習する時間の長さは好きなようにしてください。最初はテクニックが気になるでしょうが、やがてマントラの感覚とパワーが優勢になり、自分の魂と神との一体感を実際に体験できる能力が次第に大きくなります。

いくつかのポイント:

  • 簡素で精神的な音楽を流すことは、紹介した全ての瞑想法において助けになります。私は練習するときよくシュリ・チンモイの「瞑想用のフルート音楽(Flute Music for Meditation)」というCDをかけます。瞑想の美しい雰囲気がしみ込んでおり、その音楽自体が何かを教えてくれます。音楽の深い平静の中に入ることができたら、自ずと瞑想していることになるのです。練習するいい環境を整えれば半ば成功したも同然だという重要なヒントを念頭に置くといいでしょう。お香、音楽、決まった特別な場所と時間といったことは精神の開花を助けてくれるのです。
シュリ・チンモイがフルートを吹く
  • 「スープリーム」というマントラを唱えるとき、精神的なハートのところで合掌してみて下さい。これはムドラ(手の姿勢)として知られ、特にこのような合掌は精神的ハートのムドラです。親指の先が合わさって、胸の真中よりちょっと上に当たります。このテクニックは渇仰心、意識的な探求心を育成し、私たちの詠唱に強力な誠実さと熱心さを引き出してくれます。是非試してみて下さい!そうすることがあなたの瞑想に特別な内的次元を加えることに大いに助けになっていることに気づくでしょう。何千年も前から様々な道の私たちのような求道者が瞑想を高めるのに使ってきたことなのです。
  • スープリームのマントラを唱えるときは、いつでも奥深さ、誠実さといった性質を感じるようにして下さい。神とつながっていくのはあなたの魂そのものだと感じてみて下さい。その感覚が強ければ強いほど、あなたの瞑想は力強くなります。マントラはあなたの神のイメージとの親密な一体感の入り口を開いてくれるのです。