肉体・心・精神 : その5

身体と心と精神のつながりに対するシュリ・チンモイの啓蒙的な洞察

お寺の中にある祭壇と全てのものを大切に思うのであれば、手入れがちゃんと行き届いていることに念を入れるでしょう。それと同様に、肉体の中にハートと魂が入っています。祭壇は内にあるのです。肉体は魂を収容できるいい道具にしなければなりません。お寺の中にあるものが価値があると思ったら、境内を整備しておかなければなりません。肉体に注目を向けないで、肉体の健康を無視すれば、精神生活も苦しくなり、祈りと瞑想のとき他人に善意、愛と喜びを与えることができなくなります。ですから、肉体の健康が非常に重要です。

私たちの目標は世界一の運動選手になることではありません。私たちの目標は身体の健康を保ち、活発さを発達させ、ヴァイタルに純潔な喜びを与えることです。私たちの目標は他人をしのぐことではなく、自分自身が今まで成し遂げたことを越えていくことです。

シュリ・チンモイ

比較できる標準がなければ、自分の能力を正確に評価できません。ですから、競争するのは他人を負かすためではなく、自分の能力を前面に出すためです。周りに人がいるときこそ私たちの最高の能力が表に出るのです。彼らは私たちをできる限りの能力を発揮するように鼓舞させてくれ、私たちが彼らをできる限りの能力を発揮するように鼓舞します。これは競争スポーツが存在する理由です。

オーストラリアのシュリ・チンモイ・トライアスロン祭

トライアスロンに参加する人に心から敬服しています。水泳は精神生活を思い起させます。私たちは今のところ、無知の海を泳いでいますが、光と至福の海を泳げるように最愛なる至高の者に祈り、瞑想しています。

走っているときは、永遠の道に沿った始まりも終わりもない私たちの旅を思い出します。そして、サイクリングをするとき、世の中のサイクルでの進化を連想します。地球のことを考えるとき丸いものが回っているというふうに考えますが、私たちの人生も回転を通して発展しています。ですから、サイクリングは進化の過程、全てがサイクルで進んでいるということを思い起させます。昔の遠い過去に、私たちが真実の時代に生きていました。現在は虚偽の時代に生きています。真実が最も支配している時がありましたが、今はいつでも、どこでも偽りが支配的になっているのです。私たちの目標は真実が内的指導者であり、真実が支配的である黄金の時代を取り戻すことです。つまり、サイクリングは発展―内面の発展と外面の発展―を思い起させます。

私たちは二つの半分があって、一つの半分は不完全さで、もう一つは完全さを求める誠実な叫びだというふうに考えられます。一方は弱さで、もう一方は強さです。完全さを求める内なる叫びをもって、目的地へ向かい、悟りの彼方に達しましょう。私たちの存在が完全に啓発されたとき、腹黒い無知の力は私たちに近づくのを恐れるようになります。ゴールに達する前に、この力は私たちに挑戦します。しかし、啓発のゴールに達したら、無知の力は全滅されると感じ、私たちの中に入る勇気がなくなります。変革され、啓発されるだけだとは知らないのです。

昔の人々は肉体の健康に気を使っていました。身体が健康だったら、もっと長生きできると知っていたからです。精神的な人なら、健康な身体がより高い年齢まで祈りと瞑想を続けることを可能にしていると感じたでしょう。身体が病気でいっぱいなら、満足いくほど祈り瞑想することができないということは今でも誰でも知っています。何週間も何ヵ月も肉体的にかつ精神的に苦しむことになるでしょう。
私たちには身体があり、魂もあります。精神的な人は身体も魂も同じく重要視するべきです。身体だけを大切にして、肉体的に強く、精神的に弱くなったら、心の平安や内的歓喜に欠けるでしょう。逆に、身体をかまわないで、祈りと瞑想だけに注意すると、身体は神を表現するためのふさわしい道具になれません。朝、神に祈ろうとしますが、頭痛や胃痛などのためそれをやめざるを得なくなります。
運動を全然しない人の身体は啓発されないけだるい状態のままで本当の邪魔になります。身体の意識が向上しなければ、魂から分離され続けてしまいます。そのようなときは、絶対に完全さを成し遂げられないのは当然です。身体が自分なりの方法で向上し、能力を大きくし、光を収容できるようにならなければなりません。そうすれば、肉体面が精神面に貢献し、人がより強い向上で神を表現できます。ですから、肉体の健康と精神性が結びついていないといけません。足が2本あるということなのです。片足では歩けません。ゴールに着くには足が2本必要なのです。

サイクリングをするシュリ・チンモイ

では、身体が魂を完全に信頼するようになり、ヴァイタルとマインドの援助、そしてハートの援助さえ受けずに直接魂の方へ行きたがるとどうなりますか。ヴァイタルは肉体の意識が常に魂の中に宿り、身体が光で輝いているのを見て、痛ましく思うでしょう。最初はうらやみますが、そのうち身を任せて、魂のもとへ行きます。それから、マインドは身体もヴァイタルも魂と一緒にいるのを見ると、自分もそこに行きます。さらに、ハートは言います:「おやおや、私は何というバカでしょう。何回も何回も魂と一緒にいました。近ごろ、どうしてそこにいないのでしょう」。そして、ハートも行きます。要するに、身体が魂と直接の交流を持つことができたら、ヴァイタルもマインドもハートもご一緒します。その中のどれかが魂がいつも正しいということを信じ切っていればいいのです。マインドかヴァイタルか身体かが信じるようになればいいです。魂がそのなかのひとりを納得させれば、残りのメンバーがついていきます。

練習するシュリ・チンモイ

走っているとき、息を吸いながら、意識的に神聖なエネルギーを呼び起こし活気づくことができます。この神聖なエネルギーはあなたの中の積極的な現実を元気づけ、消極的な現実を啓発し、あなたを神の完全な道具にしています。神聖なエネルギーを吸い込むと神聖でない力は神聖な力に自動的に変革されます。
息を吸うたびに、神の名、または「スープリーム」(至高の者という意)、または思い浮かぶ任意の神聖な名や形を一回でも繰り返すことができれば、その精神的な思いがあなたの清らかさを増加させます。その思いはあなたの中で清らかさに変わることになるか、あなたに清らかさを与えることになります。そして、息を吐くとき、あなたの中から宇宙意識へ新鮮な熱心と新しい約束が流れていくのを感じて下さい。この新しい約束は、至高の者の適切で完全な道具になるという誠実な熱心と気乗りにほかなりません。


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