肉体・心・精神 : その4

身体と心と精神のつながりに対するシュリ・チンモイの啓蒙的な洞察

毎日毎時が神のよりよい道具になる絶好の機会で、これは生涯続く過程です。それゆえに、練習をするたびに、神のご意志に献身的に自分自身を明け渡さなければなりません。
運動選手は3・4ヶ月一生懸命練習して、それから競技会で自分の能力を発揮しなければなりません。結果が芳しくなければ、「何ヶ月もこれほどの犠牲をしていたのに、こんなひどいことになってしまった」と思うかもしれません。しかし、あれは犠牲ではなかったのです。彼はある期間何かを与えていただけで、今はその結果を経験という形で受け取っています。 周りの世界との内面の一体感を認めた探求者はひどい結果になっても苦にしたり、悲しがったりしません。彼はただこういうでしょう:「練習のとき全力を尽くして頑張りました。今はその結果を経験として受け取ります。1位になっても、最後になっても、その間になっても、その結果は至高なる主が経験として下さったものです。」

レースで走るシュリ・チンモイ

このような経験は、失敗でも成功でも、誰にしてもどの分野でも絶対に必要です。精神的な観点から見れば、一体感があるとき犠牲というものは存在しないと言っていいです。夫婦の場合、夫が妻に何かを与えているか、妻が夫に与えています。一体感の力で夫は妻のために何かし、一体感のちからで妻は夫のために何かします。従って、何の犠牲もないのです。私が左手で果物をもいで、右手に移し、そして右手を使ってそれを食べるとしましょう。左手から右手へ、右手から口へということで、一体感ばかりです。

210ポンドを挙げるシュリ・チンモイ

しかし、私の身体の様々な部分を別々で考えようと思ったら、左手が果物を右手に渡したことで非常な犠牲をし、右手が果物を口に入れたことで非常な犠牲を払ったということになります。分離の概念が入ってくると、決まって犠牲が現れますが、そうでない場合は一体感だけ一体感だけです。私の行為とあなたの行為は全て神の宇宙のゲームの一部です。「私」というものはなければ、「あなた」というものもないし、「勝利者」というものはなければ、「敗者」というものもないのです。全てが一つの現実です。一体の現実です。

精神性の観点から見た勝利の態度というのは自分を捧げる態度です。あなたが自分を捧げる誠実な態度を持っていれば、自分自身の無知を克服するための準備が必要以上に出来ているということになります。普段の生活では他人を負かして勝利を得ようとしています。精神生活では自分自身の中の向上しようとしない、神聖でない部分を克服して勝利を得ようとしています。勝利の態度とは進歩しようとしない私たちの性質、私たちを滅ぼそうとしている性質を克服する熱意のことです。

運動選手は同時に探求者でもある場合、走ったり跳んだり肉体の活動に入る前に、内的操縦者に運動選手になる意欲を持たせて下さったことに対する感謝の一時を捧げるべきです。運動選手は走る人、時間を大切にしている人、スピードを重んじる人、絶えず前進するゴールを信じている人です。地球には運動選手ではない人が何百万人も何億人もいますが、彼が運動選手になりました。これを考えながら、感謝の気持ちを捧げることができれば、受容力を大きくします。
受容力を大きくすれば、運動の能力も自動的に大きくなります。能力を増大させるのはまさに受容力だからです。受容力を大きくした瞬間に、より大きい能力、ありあまる能力、限りない能力に祝福されます。そして受容力を増す方法はただ一つあります。今まで成就できたことに対する感謝の心を捧げる方法です。

精神的集中力と肉体的・活動的集中力の間には大きな違いがあります。精神的集中は本当に難しく、肉体的・活動的集中よりずっと難しいです。兄みたいです。しかし、弟は確かに兄の手助けをできます。運動で習得した集中力は必ず精神的集中力の付足しになります。

シュプラバのフィニッシュ

シュプラバ・べックヨード選手が
9回目の3100マイルレースを完走
2005年8月

そして、精神的集中力も肉体的・活動的・知的な集中力も持っている人は運動の世界だけではなく、精神の世界でもたやすく偉大なチャンピオンになれます。

準備するシュリ・チンモイ

悪い力が入ってこないようにマインドを落ち着かせ、静かにするために、走る前に瞑想するといいです。瞑想を通してマインドはある程度の平静を得ます。そして、走っている間、この平静を前面に出すことができたら、それが長距離を走るときによく現れるマインドの落胆を乗り越える助けになります。長距離を走るとき、あらゆる落ち込んだ考えが入り、あなたがしようとしていることは全く意味のないことだと感じさせてしまいます。またはマインドが「何と退屈なことだ」と言って、あなたは次の一歩をしたくなくなってしまいます。しかし、その日の早い時間に瞑想しておくことができたのであれば、マイルから次のマイルへとあなたを運んでくれる堅実な内的力を得るでしょう。そして、瞑想はマインドをからにする方法を教えてくれます。走っている間に考えをマインドに寄せ付けないことができれば、想像できないほどのものすごい助けになります。そのとき、あなたの内で新しい創造が芽生え、あなたのインスピレーションと受容力がより大きくなります。

限度はただ一つあって、それは神が一人一人を通してどの程度ご自身を表現したいかということです。唯一の限界は神のご意志なのです。神はお待ちに待っていらっしゃいます。そして、受容力のある人、一生懸命働いた人を見ると、その人を通して何かを実行されるのかもしれません。

私はランナーとして使いものになりませんが、最初から道具になって私の中で、私を通して他人、つまり最愛なる至高の者が、走っていらっしゃるのを感じようとしています。 レースが始まる前に私は至高の者に感謝の心を捧げ、レースが終わった後もまた感謝を捧げます。レースの前も後も、心のこもった感謝を内的操縦者に差し上げることができたら、落胆や向上心の低下などはありえません。向上心と集中力はレースを通して変わったりしなくなるのです。

私はトライアスロンや長距離レースや短距離レースを開催し、参加するように私の生徒を励ましたり刺激したりするのは、世の中がダイナミズムを必要としていると感じるからです。外面の世界にはダイナミズム、内面の世界には平和が必要です。私たちはみんな探求者ですから、平和を得るように祈り瞑想します。さらに、ダイナミックになれたら、外面の世界でたくさんのことを達成できると我々は感じています。ダイナミックになるには肉体の健康が常に欠かせないですが、ランニングは健康を維持するのに大いに役立ちます。

日本のシュリ・チンモイ・マラソンチーム

日本のシュリ・チンモイ・マラソンチーム
定期的にランニング・イベントを開催しています。

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